能満寺

旧福山藩城下町最古の寺院、裏鬼門の守護寺

能満寺縁起

現在の福山城のある丘陵にあって(鎌倉時代、備後守護職であった杉原氏と関係深く、南北朝の戦乱とも関わった寺である)
福山城築城の際、現在の地に移された。平安時代末期の治承四年(1180年)高倉上皇の勅願寺として建立された。
上皇、厳島神社参詣の帰途、多くの島々に彩られる瀬戸内の風景を賞でられ、この丘陵に天下泰平と平家隆昌を祈願して当院を建立された。
鎌倉時代には守護職杉原白伯耆守光平の菩提寺として栄えたが、杉原氏断絶で寺運は傾く。
しかし、その後初代福山藩主水野勝成公によって城下町が造られることになるが、その時、能満寺を 西南方向(未申)の現在地に移築再建し、福山藩の裏鬼門の守護寺とした。
それ故、当院は旧福山城下としては城下町建設と同時に造られた最古の寺院ということになる。
また福山城築城の地鎮祭には明王院円光寺住職が導師、能満寺住職が副導師を務めている。
しかし、天和六年夏、芦田川決壊による大洪水に見舞われ、堂宇すべてを流されその後再建すすまず、往時の十分の一の規模のまま今に至る。
現在、本堂のほか、客殿・庫裏・研修センターなどがある。


剣巴~日本唯一稀有の寺紋

能満寺は鎌倉時代、備後守護職杉原氏の菩提寺として伽藍が再興され栄える。
その後、南北朝時代、建武三年(1336年)足利尊氏は挙兵するが、北畠顕家に敗れ京都から九州へ下る。
尊氏下野の途中当院に寄寓していた、杉原光平の子孫、信平・為平兄弟が足利軍に加わり、尊氏が再び上京する。
足掛かりとなる九州多々良浜合戦で勲功を立てる。
当時の住職真観は、信平・為平兄弟の大伯父である。
この勲功で杉原氏は御調郡木梨庄(現在の尾道市)を与えられ、朝廷より三つ巴に剣を貫いた家紋(剣巴)を賜る。
寺紋も同じ(剣巴)である。

江戸時代の地図


※地図上の黒丸が能満寺

旧誠之館(弘道館)講堂跡記念碑(教育、文化発祥の地)


振励館跡地(旧誠之館講堂) 平成27年9月19日瀬戸内観音合同法会を記念して建立
昭和63年(1988年)に老朽化のため解体。跡地に碑を建立

年間行事予定

1月
新春大般若六百巻転読祈祷会
3月
春彼岸会
8月
お盆参り・地蔵盆(水子供養)
9月
秋彼岸会(塔婆供養)
12月
成道会
その他
高野山本山団体参拝
瀬戸内観音霊場巡り、等

※ご供養・ご祈願等は随時受け付けております。

宗教法人 能満寺

〒720-0062
広島県福山市西町1丁目20-3
TEL: 084-922-2729